タマ子の作品レビューブログ

触った作品のレビュー書いたりします

このブログについて

ブログ主について

都内某ゲーム関連企業で仕事をしているエンジニア。
ジャンル(映画・アニメ・漫画・ゲーム…)問わずの作品好きで、面白そうなものであれば思わず飛びついてしまう。

ブログの内容について

ジャンルを問わず、ブログ主(以下「主」)が触った作品のレビューを作成していく予定。
とはいえ、作品の性質上、映画のレビューがもっとも多くなりそう。

レビューの読み方について

このブログのレビューは基本、下記の構成で作成される。

  • 概要
    • 作品の簡単な紹介。
    • 作品について知らない人向け。
    • 日本で認知されなさそうな作品であれば長くなる予定。
  • 五段階評価
    • 最低評価が「★」、最高評価が「★★★★★」の五段階評価。
    • 一目でがどれくらいこの作品がオススメなのか知りたい人向け。
    • 目安としては以下
        • 自分が今まで触った作品の中でも最悪の部類に入る
        • 作品を全く楽しめず、むしろ刑罰か何か
        • 友人が興味を示したら全力で止めにいく
      • ★★
        • 主が今まで触った作品の中でも悪い部類に入る
        • 楽しさより苦痛が上回る
        • 友人が興味を示したらやめとけと言う
      • ★★★
        • 払った分の価値がちゃんとあるレベル
        • 可も不可もなく、もしくは光るところとよくなかった点がちょうど相殺するような作品
        • 友人が興味を示したら「まぁいいんじゃない?」と言う
      • ★★★★
        • いわゆる「良作」
        • 主が感動した、もしくは良い作品だと思った
        • 好きそうな友人には自ら勧める
      • ★★★★★
        • 主が「最高」と思わせた作品
        • 主が涙を流した、もしくは主を圧倒した作品
        • 隙があれば積極的に友人に勧める
  • 合う人・合わない人
    • 主の独断と偏見で、この作品を好きそうな人・嫌いそうな人の特徴を列挙する
    • 「評価はわかったけど、自分に合うのかな?」と迷う人向け
  • 短評
    • なるべく具体的なストーリーなどへの言及を避けて、作品を簡単に評価する
    • 目指す文字数は140文字以内だが、場合によっては長くなることも
    • 「もう少しこの作品はどこが良くてどこが悪いのか知りたい」人向け
    • ネタバレが気になるのであれば、この項目までしか読まないことをオススメする
  • 感想(※ネタバレあり)
    • ネタバレを一切気にせず、作品の具体的な内容を言及しながら、主の感想を語る
    • すでに作品を鑑賞・プレイ済み、もしくはネタバレを気にしない人向け

最後に

主はブログ初心者だし、記事のレベルもまだまだだと思いますが、 記事を読まれた方に何らかの役に立てれば幸いと思います。 感想・意見などがありました、ぜひコメントください!

映画『シン・ウルトラマン』 評価・感想 「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」

このブログが初めての方はぜひこちらからどうぞ…!

tama-akiha.hatenablog.jp


公式サイト



概要

日本を代表するSF特撮ヒーロー「ウルトラマン」を、
「シン・ゴジラ」の庵野秀明と樋口真嗣のタッグで新たに映画化。
庵野が企画・脚本、樋口が監督を務め、世界観を現代社会に置き換えて再構築した。

「禍威獣(カイジュウ)」と呼ばれる謎の巨大生物が次々と現れ、
その存在が日常になった日本。
通常兵器が通じない禍威獣に対応するため、
政府はスペシャリストを集めて「禍威獣特設対策室専従班」
=通称「禍特対(カトクタイ)」を設立。
班長の田村君男、作戦立案担当官の神永新二ら禍特対のメンバーが日々任務にあたっていた。
そんなある時、大気圏外から銀色の巨人が突如出現。
巨人対策のため禍特対には新たに分析官の浅見弘子が配属され、
神永とバディを組むことになる。

五段階評価

★★★★★


合う人・合わない人


短評

庵野秀明樋口真嗣を始めとした、『シン・ゴジラ』の制作陣が送る、名作特撮作品の現代風リブート映画第二弾。

初回鑑賞時は知らなかったが、どうやらストーリー自体は初代ウルトラマンの一部エピソードからほぼそのまま借りてきて、現代風にアレンジしたようだ。

筆者はウルトラマンシリーズをほぼ観たことなく、特に初代ウルトラマンに関しては知識皆無だ。しかしそのような筆者が、このような原作リスペクトに溢れた作品を観ても、やはり大きな感動を覚えた。

ストーリーこそ初代リスペクトのものだが、キャッチコピーである、「空想と浪漫。そして、友情。」が示す通り、本作は理知的な部分として、「なぜウルトラマンは人間から巨大化できるのか」「なぜ短時間しか戦えないのか」「なぜ怪獣や外星人が地球に現れるのか」といった、言ってしまえば大人の事情による設定をしっかり理由付け、立派なSF作品として仕上げつつ、感情的な部分として、「なぜウルトラマンは自分の身を削ってまで人類を守るのだろう」という命題に集中し、人間と融合したウルトラマンの考えや変化をしっかり描写し、観客を感動させる作品に昇華した。

ウルトラマンの最後の決断を知った時、もう一つのキャッチコピーである「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」を真に理解した時、君も筆者のように涙を流すのだろう。


感想(※ネタバレあり)

『滅ぼすに値するよ』

本作に対する感想として、割と多くの人が「禍特対メンバーの活躍や神永(ウルトラマン)とのコミュニケーションがあまり描写されていないため、ウルトラマンが人間を好きになる説得力が足りない」という批判をあげている。

素直に言うと、筆者も初回鑑賞時では同じような感想を抱いていた。

もちろん、作中には人間の能力・価値・善性に対する描写がないわけではない。

浅見は有能描写が多く、神永と一番理解しあっている人間であり。
船縁は全人類が絶望している中ただ一人可能性を模索し続けていて、神永の期待通り滝を激励。
滝は人類の叡智を集め、ゼットンを打破できる唯一の方法を見つけ出し。
田村に至ってはウルトラマンが犠牲になると聞いた瞬間、その案を却下すると即答した。

しかし上記からわかるように、こういった描写は主に禍特対メンバーに対するものであり、
それ以外の人類に関してはむしろ悪性についての描写が多い。

民衆は禍威獣やウルトラマンをただの娯楽として消費し、
ウルトラマンの正体暴露動画を拡散しただけでなく、
巨人化した浅見の動画も大量にアップロードし、メフィラスにすら「下劣な輩」と言わせた。
政府関係者はいとも簡単にザラブに騙され、ウルトラマン抹殺計画に同意するし、
その後も懲りずにメフィラスと密約を交わし、
しまいには太陽系滅亡の瀬戸際に、ウルトラマンを政治交渉の材料にしようとした。

最後の行動を受け、神永も思わず「ゼットンより早く人類を滅ぼす」という脅しに出てしまったように、
少なくとも作中の人類描写を見た限りでは、人類を滅ぼすのに十分な理由はあっても、
身を削って勝てない戦に挑んでまで人類を守る理由はないように見えた。
圧倒的に高い技術力を持ち、人類以外にも多数いる知的生命体を認識している外星人視点ではなおさらであろう。


『私も、現生人類が好きなんだよ』

そこで、さらに試金石として現れたのがメフィラスである。

ザラブはウルトラマンとの単独会話になった瞬間、人類を見下していること、
さらには絶滅させようとしていることを表明したが、
メフィラスはウルトラマンとの単独交渉になってなお「人類が好き」と主張した。
それがただの嘘ではないことも彼の行動や設定からわかる。
なんなら実際人類文化をウルトラマンより遥かに馴染んでいる。

メフィラスの提案は、自分を独裁者の位置に置くこと、
そして人類をリソースとして利用することといったズルさはあるが、
人類を他の外星人から守る手段としてはウルトラマンのやり方より有効であり、
さらに人類現行の法律や文化に本当に変化を加えないだろうことから、
かなり魅力的なものである。

そこでウルトラマンは葛藤したはずだ。
自分が今まで単純に出現した禍威獣や外星人を倒してきたこと、
そしてこれからもそのように人類を守っていくことは、ただの独りよがりではないのか。
自分が今人類に抱いている感情は、メフィラスの言う「好き」とはどう違うのか。

ウルトラマンが最終的にメフィラスに叩きつけた理論武装は、
「恐怖による支配は人類の自然発展に害する」、
そして「私の中にある人類の意志だ」だったが、
それこそはウルトラマンの感情を紐解く鍵であるのだ。


『あえて狭間にいるからこそ、見える事もある』

ザラブは人類を害虫として扱い絶滅させようとし、
メフィラスは人類を気に入り管理しようとしたが、
この両者にはれっきとした共通点があり、
それが「視座の違い」である。

人間と似たような姿で現し、同じ言語を語るため、忘れがちなのだが、
地球人類が嫌いだろうが好きだろうが、
彼らが持つその感情は、決して対等の存在に向けたそれではなく、
人間が害虫(そのまま)や犬猫に対する感じるものに近いのであろう。

上位存在の視点から見るとこれはむしろ当然で、
害虫を駆除するために虫になる意味はないし、
猫を愛でるためわざわざ猫になるのはどう見ても狂人だ。
そういう意味では、「猫」一匹の命を奪った罪悪感はあったかもしれないし、
自分より弱い存在のために自らの命を投げ出す知性生命体に対する好奇心もあるだろうが、
デメリットだらけだけでなく、禁じ手でもある「人間との融合」を選択したウルトラマンは、
作中外星人からしてみれば物好きな狂人以外の何物でもないのであろう。

しかし、この理解不能な行動のおかげで、
ウルトラマンは唯一人類と同じ視座を獲得しえた外星人となった。
融合後も神永としての仕事をしっかり遂行したところから見た限り、
ウルトラマンは光の星の使者としての知識や自我を保ちながら、
その同時に人間である神永の記憶・技能・人格も利用可能のように見える。
しかし、これだけのスペックを抱えながら、ウルトラマンが取った行動は、
「人類を理解しようとする」ことのみだった。
基礎的な概念も恥ずかしがらずに(禍威獣を倒した後はちょっとはにかんだのに…)バディに質問し、
古今東西の本を読み漁るその姿には上位者の面影などなく、
ただただ謙虚な求道者そのものだった。


『そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン

上位存在という檻から解放され、人類との対等性を手に入れたウルトラマンが、
ついには多くの人間すら理解できていない「対等の愛」へと至った。

悪性が善性を上回れば、嫌悪すべきなのか?
それでは害虫と何の違いがあるのだろうか?

価値があるから、「好き」と宣ってもいいのか?
それが家畜やペットに対する好きではないと、どうして言えるのだろうか?

ウルトラマンは、好奇心により人類と出会い。
ともに時を過ごし、理解を深め。
相手の善性も悪性も受け入れ、ただただその自由を願い。
相手を危機から救うため、ボロボロになるまで戦い。
それでもなお相手の可能性を信じ、相手の為に命の危険を犯し。
最後に奇しくも相手との出会い同様、自分より弱い存在のために命を犠牲にした。

最初の自分から不思議に見える自己犠牲の境地までたどり着いたウルトラマンのこの気持ちは、
「真の愛」以外の何物と言えよう。

最後まで、ウルトラマンは自分の口から、人類が「好き」だと、一度も口にしたことはなかった。
三者の目が介在しえない、ゾーフィとの最後の会話の場においても、
ひたすら「小さく群れる存在」を理解したい、守りたいと願った。
そのような姿を見ても涙を流さないことは、筆者にとって到底無理な話だ。


『痛みを知るただ一人であれ』

本作の魅力的な箇所はほかにももちろん多々あり、筆者がより特撮に詳しいのであれば、
各禍威獣や外星人の設定やアクションなどについて長々と語っていたかもしれないし、
より映画に詳しいのであれば、本作の制作手法などについて語っていたかもしれない。

しかし今の筆者には、このウルトラマン
この唯一人の痛みを理解した外星人、
この人類が背負うべき痛みを一身に引き受けたヒーロー、
この愛されるべき人間の物語を知り得たことが、
何よりの収穫だった。

さらば、ウルトラマン

劇場アニメ『天気の子』 評価・感想 懐かしい「あの」新海監督が帰ってきた?!

このブログが初めての方はぜひこちらからどうぞ…!


https://rpr.c.yimg.jp/im_siggvf_vXhKihoS0rF0iQcZqWg---x800-n1/amd/20190720-00134830-roupeiro-000-7-view.png

公式サイト より



概要

今や、世界的に注目されるアニメーション監督・新海誠。
叙情的な男女の物語を、美しい色彩と繊細な言葉で紡ぎ出す“新海ワールド” は、
国内外問わず多くの人々に支持され、生み出された作品は高く評価されてきた。
そして、前作『君の名は。』から3年―
待望の最新作が、ついに始動する。

これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語

三年前の夏、いつもと同等以上の美術表現と、いつもとは少しテイストの違う物語を携わった、
君の名は。』で日本中ないし世界中を熱狂させた新海誠監督。
そこを続く『天気の子』は、果たしてどのような作品になるのだろうか?


五段階評価

★★★★★


合う人・合わない人

  • 合う人
    • 新海監督のファン
      • 特に古くからのファン
    • いわゆる「セカイ系」作品に興味のある人
    • 未熟な青春物語の好きな人
  • 合わない人
    • 君の名は。』のテイストこだわる人
    • 幼稚な思想や行動を嫌う人
    • 設定やシナリオの完成度にこだわる人

短評

本来の持ち味を上手い具合に薄め、王道のど真ん中を行く作品、
君の名は。』で一気に国民的なアニメ映画監督になった新海監督。
しかし、その三年後に誕生した本作『天気の子』は、
むしろその原点となる『ほしのこえ』を彷彿とした、
人々に息苦しさを感じさせる「セカイ系」作品だった。

監督本人が言ったように、この作品は「賛否両論」になるだろうし、
一部の人を「怒らせる」ような作りになっているが、
僕はこの作品を絶賛したい。

これこそが、新海監督のみが創造でき、
君の名は。』の三年後であるこのタイミングでこそ最大の意味を持つ、
最高に「新海誠の味」にあふれた名作だ。


感想(※ネタバレなし)

  • 画面と音だけでもお釣りが来る!
    とりあえず、キャラだのストーリーだのつべこべ語る前に、
    映画を語るに欠かせない要素から話そう。

    新海監督といえば、そんなに詳しくない人でも、
    脳内にはその美麗な風景描写が思い浮かぶのではないだろうか。
    その中でも、自分は雲・光と影、そして雨の描写がとても好きだ。
    今回の『天気の子』は、その名前の通り、天気を一つのテーマとして扱っている。
    晴れから雨の変化、そしてその逆となる雨から晴れの変化が、
    まさにこれらの要素の美しさを最大限に生かしており、
    そういうシーンが一つ出るたびに息を飲むほどの感動を覚えた。

    もちろん、画面描写の美しさはこれに限らない。
    色鮮やかに描かれた東京の街は『君の名は。』と同等以上に美しかったし、
    浮遊感あふれた幻想的な風景も今までの新海作品からの正統なる進化を感じさせた。

    このような美麗な画面をさらに素晴らしい体験にしたのが、同じく美しい音。
    雨天というテーマに完璧に合致した楽曲と雨音は聞いているだけで気持ちいいし、
    ストーリーの展開やキャラクターの心情に沿ったBGMには気持ちを動かされた。
    君の名は。』に引き続き、今回の音楽や主題歌もRADWIMPS担当だが、
    その仕事っぷりは三年前と同等以上に素晴らしいものであり、
    挿入歌が響くシーンに思わず涙を流した方も多いのではないだろうか。
    今回は野田洋次郎さん以外に、三浦透子さんもボーカルを担当しており、
    それによって本作の音の幅がさらに広がり、
    君の名は。』を想起させながらも飽きを感じさせない素晴らしい出来だった。

    とにかく、本作は本当に画面と音という、
    いわゆる「表面的」な要素だけでもチケット代にお釣りが来るに出来になっているので、
    ぜひ広い画面といい音響のある映画館にて体感しましょう!

  • 新海誠史上最高に可愛いヒロイン!
    ※個人的な感想です!

    君の名は。』(正確に言うと『クロスロード』か)以前の新海監督作品は、
    いわゆる「萌え」に寄せた作風のキャラクターデザインを起用しなかったせいか、
    ヒロインは見た目のみで「可愛い」と思わせるようなデザインではなかった。
    (もちろんこれが悪いとはまったくもって思っていないが)
    そのため、『クロスロード』と『君の名は。』の予告を見た際、
    何より田中将賀さんデザインのヒロインの可愛さに衝撃を覚えた。

    しかしまぁ、田中将賀さんがキャラデザを担当する作品は今まで何作も見てきたわけで、
    新海監督との組み合わせに衝撃を感じていたが、
    それも二作を経た今となってはもう慣れたものだろう…と、僕は思っていた。
    そう、『天気の子』の予告を観るまでは。

    考えが完全に甘かった。
    確かに海帆も三葉もとても可愛かったが、
    その格好は制服や着物など、いわゆる「正統派」のデザインになっていた。
    しかし本作では攻め方を変えており、
    私服と小物の合わせ技で観客を落としにかかってきた。

    具体的に言うと、チョーカーだ。
    ヒロインである天野陽菜が首に付けていたチョーカーが、
    彼女の「可愛さ」と「エロス」と言う二面性を絶妙に演出しており、
    今までの新海ヒロインたちとは全く違う魅力を与えていた。
    陽菜が異なる服装を着替えた際にも、チョーカーだけはずっと付けているのだが、
    不思議なことにどんな服装にもこのチョーカーは完璧にハマっていて、
    その服装の普段とは違う美しさを引き出しており、
    陽菜をさらに魅力のあるヒロインに仕上げていた。

    もちろん、チョーカーだけではない。
    今までの新海ヒロインが誰一人身につけたことのなかった、
    パーカーやハイカットスニーカーなども絶賛もののアイテムであり、
    このようなフェティシズムについて語るだけで長い記事が書けそうだ。
    とにかく、この今までの新海ヒロインとは魅力の角度が違い、
    ファッションに彩られた可愛さとエロスを兼ね備えたヒロインも、
    この映画を観る十分すぎる理由になっている。

感想(※ネタバレあり)

7/22(月)夜更新予定!

劇場アニメ『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』 評価・感想

このブログが初めての方はぜひこちらからどうぞ…!


http://www.anime-eupho.com/img/top/keyvisual.jpg

公式サイト



概要

昨年度の全日本吹奏楽コンクールに出場を果たした北宇治高校吹奏楽部。
2年生の黄前久美子は3年生の加部友恵と、
4月から新しく入った1年生の指導にあたることになる。

全国大会出場校ともあって、多くの1年生が入部するなか、
低音パートへやって来たのは4名。

一見すると何の問題もなさそうな久石奏。
周囲と馴染もうとしない鈴木美玲。
そんな美玲と仲良くしたい鈴木さつき。
自身のことを語ろうとしない月永求。

サンライズフェスティバル、オーディション、そしてコンクール。
「全国大会金賞」を目標に掲げる吹奏楽部だけど、問題が次々と勃発して……!?

北宇治高校吹奏楽部、波乱の日々がスタート!

高校二年生になった久美子たち。
「色々あった」という一言では纏められないストーリーを共にした三年生を見送り、
新たに癖の強い一年生を迎えた久美子たちは、今度はどのような物語を綴るのだろうか?
そして果たして掲げた「全国大会金賞」という目標を達成できるのだろうか?
リズと青い鳥』の裏で起きたストーリーも必見!


五段階評価

★★★★★


合う人・合わない人

  • 合う人
  • 合わない人
    • 響け!ユーフォニアム』シリーズを知らない人
      • TVシリーズ、もしくは劇場版三作などで基本的な知識を仕入れてからにしましょう!
    • 原作に過度にこだわる人
    • 思春期の繊細な悩みに興味のない人
    • キャラや物語の展開に完璧さを求める人

短評

リズと青い鳥』から1年になる、『響け!ユーフォニアム』アニメシリーズの新作。

原作の「一年生編」はTVアニメ二期をかけて丁寧に描き上げられたため、
「二年生編」をこの劇場アニメ一作で完結と聞いた時には若干の不安を感じた。 (『リズと青い鳥』があるとはいえ、だ)
しかしいざ蓋を開けてみると、話がいいテンポに進んで行くにも関わらず、
必要以上に急かしている感覚が全くなく、
一年生・二年生・三年生各々のエピソードをしっかり描写し、
個性の強いキャラたちで普遍性のある悩みや楽しみを描き出す素晴らしい作品だった。

もちろん、目玉である演奏パートも今まで以上のいい出来となっているので、
ぜひ川崎チネチッタなど、音響のいい映画館で鑑賞していただきたい(ダイマ)。

TVシリーズもしくは劇場版、そして『リズと青い鳥』をしっかり復習してから鑑賞すると、
きっと感動はさらに深まるであろう。


感想(※ネタバレあり)

  • 尺について
    まずは(自分を含め)多くの人が気になるであろう、尺の問題について語りたい。

    響け!ユーフォニアム』は、テレビアニメ二期、合計26話で、
    原作の「久美子一年生編」、合計文庫本3冊分(および短編集の一部)のストーリーを描いた。
    そして去年上映された『リズと青い鳥』と今作『誓いのフィナーレ』は、
    原作の「久美子二年生編」、合計文庫本2冊分の内容が含まれる。

    26話のテレビアニメと、90分の映画二本。
    たとえ原作のボリューム差が倍近くあると計上しても、
    二年生編のアニメに与えられた尺は一年生編の半分程度、という計算になる。
    さらに言うと、『リズと青い鳥』は「希美とみぞれの関係性」のみをテーマとし、
    この二人と直接関わらないキャラやストーリーの描写はほとんど省かれているため、
    オーディションやコンクールを始めとした各イベントを描写しなければならない本作の方が、
    明らかに「尺」による圧力がかかっおり、気になるのも当たり前のことだ。。

    では、結果として本作はどうだったかと言うと、
    短評にもあった通り、いいテンポで話が進むが、
    尺のために急かしたり話を端折った感覚がなく、とてもよくまとめられていた。

    明らかに足りない尺で、どうやってこのような効果を実現し得たのか?
    自分が思うには、これは「情報密度の増加」と「想像力への訴え」といった手法を取ったからだ。

    • 情報密度の増加
      当たり前の話だが、限定された時間の中でより多く内容を含めたい場合、
      時間あたりの情報量を増やせば達成可能だ。
      本作の多くの箇所はこちらの手法を取っており、
      「キャラがただ会話している」シーンや「淡々と物語を進める」シーンが少なくなり、
      代わりに「キャラのセリフが流れつつ、画面で他の場面を描写する」、
      「画面の背景にも情報を盛り込む」といったシーンがかなり多くなった。

      そのため、普通に観てもちゃんと一つのストーリーを楽しむことができるが、
      繰り返し鑑賞し、背景にいるキャラたちや僅か数秒のシーンも見逃さずにしっかり観察することで、
      真に本作に含まれる大量の情報を捕捉しきれるのだろう。

    • 想像力への訴え
      どれほど情報密度を増やしたくても、演出効果を考慮すると限度がある。
      ではどうすればさらに作品の内容を増やせるのか?
      その答えは「画面に出さない内容を作品に追加する」という手だ。

      この言い方だとまるで魔法のように聞こえてしまうので、
      具体的に説明すると、「僅かな描写から多くの想像ができるような描き方」をすることだ。
      例えば、自由曲「リズと青い鳥」の第三楽章にある、オーボエとフルートのソロ。
      一見普通の演奏シーンだが、『リズと青い鳥』を鑑賞済みの観客にとって、
      その画面や演奏に含まれる感情は一言では表せないものであるだろう。

      この手法はかなり観客に依存するもので、
      例えば上記のシーンは『リズと青い鳥』未鑑賞の人にとっては全く響かないのだろう。
      それでも、条件を持ち合わせた一部の人にとって、このような描写は、
      この作品の中身を何倍も増やす効果があった。

    もちろん、これらの手法を持ってしても、指定された尺の中に入りきれず、
    やむを得ずカットされた内容がそれなりにあった。
    例えば、小日向夢のファンにとって、この作品が残念な出来になってしまっているのだろう。
    だが、尺の制限があったからこそ生まれた表現もたくさんあったわけで、
    自分はそこを高く評価したい。

  • 普遍性のある、思春期の繊細な悩み
    テレビアニメ一期のソロ争いや、二期のあすか退部騒動。
    響け!ユーフォニアム』という作品には、
    常に吹奏楽部や高校生にありがちな問題や悩みが伴っていた。
    本作に描かれたキャラたちの悩みも今まで同様、
    (特に吹部経験のある)視聴者たちの高校時代の傷をエグくものだろう。

    自分が本作を評価したいのは、その中で描写された悩みは、
    今まで以上に、吹奏楽部」や「高校生」といった枠を超えた普遍性を持っているという点だ。

    二年生になった久美子は、自分の演奏・恋愛・将来などの悩みを抱えながら、 一筋縄にはいけない後輩たちの前に「しっかりとした先輩」を演じなければならず。 三年生になった加部友恵は、奏者としての自分と指導係としての自分に葛藤していた。 他のキャラも各々の悩みを抱えていて、できることなら全て語りたいところだが、
    その中でも、もっとも語らざるを得ないと感じたのが、
    新しく低音パートに加入した一年生、「久石奏」と「鈴木美玲」の二人だ。

    • 自己防衛のために仮面を被る、久石奏
      唐突に自分語りから入ってしまうのだが、
      僕は公式サイトのキャラ紹介を見た時点から久石奏が好きになった。
      髪の赤いリボンにより綴られた可愛さももちろんだが、
      表情や紹介文から漂ってくる「猫かぶり」の気配がたまらなかった。
      自分は「猫かぶりキャラ」が好きだ。
      響け!ユーフォニアム』シリーズのキャラで例えるのなら、
      (性質は異なるが)田中あすかが一番好き。

      猫かぶりキャラのどこか面白いかと言うと、
      「他の人より、素の自分がコミュニティに通じなく、そしてその点を認識している」ことだ。
      そりゃ人間である限り、多かれ少なかれ建前と本音を使い分けるだろうが、
      猫かぶりキャラはその程度では止まらず、仮面を被り、別人格を演出する。
      素の自分でコミュニティに上手くやっていけるのであれば、
      わざわざそこまで苦労することはないだろう。
      「素のままの自分では上手くいかない」認識があるからこそ、そうせざるを得なかった。
      この思考に含まれる不器用さ・自分と周りへの認識・努力こそが、
      猫かぶりキャラの魅力だと自分は思っている。

      実際、久石奏の場合は、中学時代のトラウマが「猫かぶり」の源となった。
      素の自分のままで吹奏楽を努力し、先輩をも超える実力を身につけたが、
      成果が出なかったがためにコミュニティに責められ、苦渋な思い出となった。
      その経験が「素のままの自分では上手くいかない」認識に繋がり、
      今のように本音を隠し、コミュニティにいる人間と距離を取りつつ性質を見極め、
      その人との付き合い方を選ぶような世渡り方になった。

      客観的に見て、中学時期の奏の行動は決して間違ってはいなかった。
      外部の人間に評価させるのであれば、誰も奏を責めることはないだろうが、
      残念ながら人間は広い世界に生きているのではなく、
      自分を取り囲む小さなコミュニティの中で生きる存在だ。
      いくら客観的に見て間違っていない行動でも、
      コミュニティにとってもっとも好まれる選択肢でない限り、
      その行動を取った者は辛い経験をするのだろう。
      「学生」という、自力でコミュニティ脱出できる力を持たない立場にいる人間は、
      往々としてその辛さをもっとも実感しやすいのだろう。
      これこそが、このキャラが示す「普遍性」だと、自分は思っている。

      そして、猫かぶりキャラの先輩である田中あすかとは異なる、
      「後輩」としての魅力を演出するのが、奏の「詰めの甘い」ところ。
      あすか先輩は、他人の協力がなくても部内で上手く立ち回り、
      久美子に捨て身アタック仕掛けられるまではその冷徹の仮面を崩さなかった。
      一方、奏は久美子の本質を見抜いたつもりが核心の部分までは見誤り、
      オーディションの際の振る舞いも決め切れず久美子へ相談しに行った。
      このように弱点を持っているところが、逆に「後輩キャラ」としての魅力になり、
      最後に久美子に説得されたことやその後小悪魔的な言動を改めなかったとこを含め、
      久石奏を「最高な後輩キャラ」にした。

    • 優秀さが壁を作ってしまう、鈴木美玲
      美玲の抱える問題も、
      「コミュニティに上手く溶け込めない」という意味では奏と若干似ているが、
      「達成したい目標」と「障害となっている箇所」を自覚できていないだけ重症だ。

      奏は「高校生活を上手くやる」という目標を立て、
      「仮面を被る」という解決法を見出し、それを実行することで、
      それなりに目標を達成できていた。
      一方で美玲は、下手でも楽しそうなさつきと葉月を見て「イライラ」と感じ、
      サンフェスの際に「自分の居場所がない」と感じたものの、
      その根源たる問題点、自分が達成したい目標を自覚できていなかった。

      問題点を自覚できない以上、自分で正しい解決法を見出せるはずもない。
      本人が気付くまで待てば問題ないだろうが、
      苦しむ環境に置かれる人間に待てというのはあまりにも残酷なことだろう。
      待てない人は勘違いしたまま問題解決のために行動すれば、
      そりゃ「辞める」という誰も幸せにならない突飛な結論にもなる。

      こういう状況に陥ってしまった場合、
      もはや「外部からのアドバイス」くらいしか有効な手がなくなる。
      奏は自分の経験を重ねてか、美玲の問題を「承認欲求」と解釈し、
      自分や久美子でその承認欲求を満たすことで籠絡しようとした。
      その解釈は決して間違いではない。
      効率的に練習をこなし、演奏技術も高い美玲が、
      それに見合う見返りを手に入れられていないのは確かだ。
      だが中学時代の奏のいた環境とは違い、
      現在の北宇治は実力を持つ者を認める雰囲気があり、
      実際低音パートのメンバーは全員美玲を認めていた。
      にも関わらず美玲が満たされないと感じるのは、
      久美子が見抜いた通り、美玲が変わりたかったから。

      優秀な人は、今までが上手くいったがために、
      その今までのやり方にプライドを感じる場合が多い。
      しかし、環境が変わった場合、求めるものが変わるのも人の常。
      美玲はいつの間に「仲間との良好な関係」を求めるようになったが、
      その優秀さが生み出したプライドが、
      この新しい目標を達成する壁になってしまう。
      承認欲求が満たされたところで、その目標は達成することはなく、
      久美子の提案のように、その不要なプライドを捨て、
      自分から変わることで、ようやく達成できるようなものだ。

      そしてこのような問題は、社会人にもそのまま起きるのが、
      鈴木美玲というキャラの面白いところだ。

  • 最後に
    長々と書いてしまったが、とにかく伝えたかったのは、
    本作は複数回鑑賞する価値のある素晴らしい作品ということだ。
    上記で触れたところ以外にも、久美子と秀一や麗奈との距離感など、
    しっかり観察するとその面白さに気付けるポイントがたくさんあり、
    決して飽きさせない作りになっているので、
    ぜひ音響のいい映画館で楽しんでいただきたい。

    それと、
    f:id:tama_akiha:20190428150145p:plain
    本作のパンフレットの裏表紙のデザインが最高すぎるので、
    みんな買いましょう!

映画 『グリーンブック』 評価・感想

このブログが初めての方はぜひこちらからどうぞ…!


https://eiga.k-img.com/images/movie/89815/photo/09c3358fd95e3393.jpg?1543968970
(C)2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. All Rights Reserved.

公式サイト



概要

1962年、天才黒人ピアニストは、粗野なイタリア系用心棒を雇い、  
「黒人専用ガイドブック(グリーンブック)」を頼りに、  
あえて差別の色濃い南部へのコンサート・ツアーへ繰り出す。  
旅の終わりに待ち受ける奇跡とは?まさかの実話!

(公式ポスターより)

金も学識も持った天才黒人ピアニストと、粗野で差別意識も持っているがトラブルシューティングだけは上手な用心棒。
しかもよりによって旅する場所はまだジム・クロウ法が存在していたアメリカ南部。
何も起きないはずがなく、この二人は果たして無事旅を終えることができるのだろうか?


五段階評価

★★★★


合う人・合わない人

  • 合う人
    • 心が温まる系のストーリーが好きな人
    • ポリティカル・コレクトネス(以下ポリコレ)をあまり気にしない人
    • 音楽が好きな人
  • 合わない人
    • ポリコレにこだわる人
      • 「ポリコレはこうであるべきだと思う人」「ポリコレが嫌いな人」の両方を指す
    • 世界を変えるような、劇的なストーリーを期待する人
    • 事実にこだわる人

短評

日本上映直前に第91回(2019年)アカデミー賞の作品賞を取得したため、
題材も題材なので、少し変に構えて観た作品。
実際観終わった後、期待してたものとそれなりに違ってたので、一瞬評価に困ったが、
正直に笑いあり感動ありの良作だと思った。

「黒人」と「白人」などスケールの大きい話というより、
「人」と「人」の物語だと自分は感じた。


感想(※ネタバレあり)

  • 政治的な要素について
    この作品を語るには、政治は避けては通れない話題だろう。
    近年のアカデミー賞は、民主党の政治的プロパガンダとして利用されているという味方が強く、そのアカデミー賞の作品賞を取った作品はそういう目的に沿ったからではないかという疑惑はどうしても付きまとう。
    特にこの作品はアメリカにおける白人と黒人との軋轢という、これでもかというほど政治的なテーマを扱っている。 なので何よりもまず、この作品の政治性について語りたい。

    • 政治作品としてのグリーンブック
      パッと見ただけで、この作品の下記のような政治的要素が目に入る。
      • 主人公は白人と黒人のコンビ
      • 最初は互いに偏見を持った面があるが、最後は和解して友人になる
      • 物語の展開は大体黒人が差別を受ける → 何らかの形で解決される、という流れ

      なるほど、これらだけを見れば、確かに政治作品もいいとこである。
      なので自分も最初はそういう目線で観ていたが、そうすると途中で割と不満を感じた。

      よくよく考えると、その原因は、
      政治作品として観た場合、グリーンブックはそれほど優秀な作品ではない
      であるからだ。

      • ドン・シャーリーは、差別される黒人の代表者ではない
        ドン・シャーリーは確かに作中いろんな差別を受けてきた。
        しかし、それによって、彼は果たしてその時代の黒人の代表足りうるだろうか?
        彼は博士号を複数持ち、さらに天才ピアニストとして名声を馳せていた。カーネギーホールの上に住み、金に何不自由ない彼は、黒人の中ではかなりの上流階層だろう。差別意識の強いアメリカ南部でさえコンサートツアーを開けるのが何よりの証拠だ。
        そのような人が、ちょっとした差別を受けて、何らかの形で解決されたところで、それは「黒人への差別問題に真剣に立ち向かえました!」とは言えないのだろう。
      • トニー・リップは、差別をする白人の代表者ではない
        映画の序盤でこそ黒人を差別する一面を見せたトニー・リップだが、その後、彼がドン・シャーリーへの態度は、ボスに不遜な行為を取り辛いという点を鑑みても、せいぜい「偏見」止まりで、とてもじゃないが「差別」とは言えない。
        それどころか、彼は寧ろ差別を受ける側で、そのイタリア系の出身から「半分黒人」と罵られた。

      上記のように、この作品では「差別者 vs. 被差別者」という構図がしっかり成立していなく、差別問題を直面した物語とは言えないため、「政治映画」としてはあまり優秀なものとは言えないだろう。いろんなところから批判を受けるのもまぁ理解はできる。

  • 「人と人」の映画
    ここまで見てきたら、えっ、じゃあこの作品はただの駄作なの?と思うかもしれない。
    ところが、そういうわけでもないのがこの作品の面白いところ。
    確かに、政治的な目線を向けると、この作品は優秀とは言えないが、
    見方を変えれば、「この作品は政治的要素に重きを置いた映画ではない」とも言える。

    黒人が受けてきた差別も、白人が持っていた偏見も、この作品の中にとっては確かに欠かせない要素であるが、
    それと同時にあくまでも背景でしかない

    この作品は、「ドン・シャーリー」と「トニー・リップ」という二人の人間の物語だ。

    ドン・シャーリーは確かに高度な知識とスキルを持ち、金に不自由ない上流階層だが、
    黒人が差別されるその時代では、その優秀さが、そのストイックさが、逆に彼を孤独にした。
    雇っている管理人やトリオを組んでいる仲間など、物理的に近しい存在はいるが、
    「親密な友人」と言える存在はいなかった。

    一方、トニー・リップはどちらかというと下層に生きているが、円満な家庭を築いているし、
    家族や彼の実力を見込んだ「お仲間」も大勢いて、一見満足な生活を築いていた。
    だが、よく見ると、彼と正面からぶつかり合い、彼の問題点を指摘したり、
    彼の人生に転機をもたらすような存在はいなかった。

    このような二人が、差別が横行する時代に出会い、奇跡的にパートナーとなった。
    確かにドン・シャーリーがトラブルに巻き込まれ、トニー・リップがそれを助ける構造が複数あったが、
    それは時代背景的にも必然的なことだし、それだけで「白人救世主パターン」だと断言するにはあまりにも乱暴だ。
    逆にドン・シャーリーがトニー・リップをいろんな面で助ける場面もしっかりあったわけだし、
    そもそもこの二人の関係をただの政治的になプロパガンダと断言するのは悲しすぎることだ。

    あの時代にこのような友情を結べたことは確かにとんでもない奇跡だ。
    代表性はこれぽっちもなかったし、白人と黒人との問題は根本的に解決されず、今もまだ存在している。 だが、それはこの二人の友情を祝福してはいけない理由にはならない。
    僕は、この作品の持つ政治性より、この二人が織りなす「人と人の物語」を、みなさんに注目していただきたい。

  • 最後に
    アカデミー賞作品賞受賞かついろんな方面から賞賛と批判を受けたこと作品。 このような作品は君にとってアタリなのかハズレなのか、その目で確かめるのはいかがでしょうか。 少なくとも、ケンタッキーでフライドチキンを食べたい気分にはしてくれるだろう。

映画 『アリータ バトル・エンジェル』 評価・感想

このブログが初めての方はぜひこちらからどうぞ…!


https://eiga.k-img.com/images/movie/88451/photo/b67ae47836121d39.jpg?1549596778
公式サイト



概要

アイアンシティに舞い降りた天使は、
運命と出会い、戦士に目醒める。

(公式サイト・STORYより)

木城ゆきとによる名作SF漫画『銃夢』が、
かのジェームズ・キャメロンのプロデュース・脚本の元、
ロバート・ロドリゲスの監督により、実写映画となった。
このかつてないような組み合わせは、観客にどのような映画体験をもたらすのだろうか?


五段階評価

★★★


合う人・合わない人

  • 合う人
    • 銃夢』がどのように現代CG技術で実写映画として生まれ変わるのかが気になる人
    • サイボーグによる高速戦闘を楽しみたい人
    • サイバーパンクな雰囲気が好きな人
    • ヒロインのビジュアルが好きな人
  • 合わない人
    • 銃夢』原作の表現、描写に拘る人
    • テンポの速い展開についていけない人
    • 「物語はちゃんと完結するべきだ」と思う人
    • ヒロインのビジュアルを受け入れられない人

短評

銃夢』の「モーターボール編」が、20年以上の時を経て、映画へと生まれ変わった。
人間の意識と機械の体を持つヒロインの特徴やギャップの表現が非常に印象的だった。
それぞれ特徴を持ったサイボーグの描写や高速戦闘シーンが非常に気持ちが良かった。
原作通りの鬱シーンも盛り込んだため、人を考えさせられる一作でもあった。

だが、長い原作を映画の尺に合わせるため、展開のテンポが非常に早く、
特にキャラの感情描写や心理の変化はなかなかついていけないものだった。
原作をなぞらえた設定はスケールが非常に大きいため、
「諸悪の根源を倒す」という風に完結する作品にはなれず、
宙ぶらりで後味の悪い結末になったのが個人的に非常に気になった。


感想(※ネタバレあり)

  • ストーリー全体
    • まさか「マカク編」「ユーゴ編」「モーターボール編」を組み合わせて、
      一つの映画作品に仕上がるとは、素直に感心するしかなかった。
      見事に原作の各キャラと展開をフル活用して、
      122分という尺に『銃夢』を最大限に表現できたため、
      キャメロン監督とロドリゲス監督の原作愛を感じた。
    • しかしもちろん、このような計算尽くな脚本はいろんな弊害をもたらす。
      話を終わらせるために本来必要な描写をカットしてしまい描写不足になったり、
      キャラに本来なかった役割を演じさせたため原作と乖離が発生したりする。
      自分は急すぎた展開とねじ込まれた感の強いモーターボールに違和感を覚えたが、
      全体的に見て破綻はしていないので、そこまで問題はなかっただろう。
  • 映像
    • サイボーグの表現
      • 精細なCGによって表現されたサイボーグ達が最高にSFしてた。
        特に「顔だけ生身で他は機械」のザパンと、
        「本体は虫のようなもの」のグリュシカが、
        まさに「今時のCG技術があるからこその出来」で、
        恐ろしさ・生々しさ・カッコよさを同居した姿が実に良かった。
    • ザレムとアイアンシティ
      • クズ鉄のスラムと、その真上に君臨する空中都市。
        銃夢を代表するこの二つの舞台が、見事にCGによって描画され、
        あまりにも美しい一枚絵になったため、
        これだけでも映画化した意味はあったとさえ言える。
        アイアンシティのサイバーパンク感と、
        ザレムの届かない美しさに引き込まれ、
        なるほど、これはザレムに憧れるのも無理ないと思われる出来だった。
    • モーターボール
      • 「これがやりたかったので銃夢を映画化した」と言われても納得自分がいる。
        スポーツという大義名分を借りた、サイボーグによるバトルロイヤル。
        高度なCGにより表現された高速戦闘が気持ちいいとしか言いようがなく、
        サイボーグ達が走り、ぶつかりあい、砕け散る様にロマンを感じる。
      • しかし前述の通り、ストーリー全体から考えると、
        モーターボールは「やりたかっただけ」とねじ込んだ感が強く、
        尺の都合でまともな試合が一戦しかないため、
        正直言って不完全燃焼だった。
  • 主要キャラに対する感想
    • アリータ(ガリィ)
      • まずは誰もが気になるだろう、このヒロインのアグレッシブ過ぎた顔。
        原作のガリィは他のキャラに比べ特に特徴的な顔をしているわけではないが、
        アリータはキャメロン監督の言葉通り「アリータの目は巨大で、顔はハート型」。
        ヒロインが他のキャラとの違いを強調したいのかもしれないのだが、
        このような好みの分かれるビジュアルを前面に押し出すのは、
        かなりの自信と勇気がなければできそうにもなく、
        感服するところではあった。
        結果的にヒロインのビジュアルに好意を寄せている人も見た所かなりいて、
        このチャレンジは成功したと言えるだろう。
        自分はどちらかと言うとあまり好きじゃないのでちょっと微妙な気分だったが…
      • 原作に比べ、描写する尺が足りないからだろうが、
        かなり葛藤の少なかったキャラになった。
        記憶が早々(断片的にだが)戻り、バーサーカーボディも「more me」になったため、
        自分のアイデンティティに対する迷いや葛藤がほとんどなかった。
        尺のためには必要だし、これはこれでカッコいいので一方的に悪いわけではないが、
        自分はつまらなくなったなぁと感じた。
      • しかしながら、注目すべきは原作にない表現である。
        最序盤の「あくびしながら起き上がり、自分の体を確かめる」演出は、
        見事にサイボーグの「生身の脳・機械仕掛けの体」という特性を表現したし、
        「ヒューゴに自分の心臓を差し出す」シーンも見事にサイボーグの特異性と、
        アリータがヒューゴに向ける感情をワンシーンで表現したため、
        実に素晴らしかった。
    • イド
      • 尺の犠牲者その1。
        根本的に設定変更されてもはや別物になってしまった悲しいキャラ。
        医師兼保護人という立ち位置は原作と変わらないが、
        原作ではもっと闇を抱えていて(ハンターウォーリアをやる理由など)、
        ガリィへの感情ももっと屈折したものであるため、
        かなり面白いキャラだった。
        しかし122分の映画でそれらを表現できるはずもなく、
        ロケットハンマーを持ちながらもロクに戦えず、
        アリータを我が子に思うただのおじいちゃんになってしまった。
        映画にまとめるためには極めて合理的な設定改変だが、
        イドというキャラへの根本的な破壊とには変わりない。
        まぁ、「これはイドの映画ではない」という一言で片付けるしかないだろう。
    • ヒューゴ(ユーゴ)
      • 原作序盤での自分のお気に入りキャラ。 映画版では年齢を始め、色々と設定が変更され、 なんかパッと見いけ好かないイケメンになったが、
        そのコアの部分は変わっておらず、
        唯一原作と同等以上に表現されたキャラではないかと自分は考えた。
      • 原作より早い段階でアリータとの恋人関係が成立したため、
        その分目が覚めるのも早くなり、その葛藤や後悔を描写する余裕があった。
        それでも全てが手遅れで、悲しい最期を遂げるところは変わらず、
        人を考えさせる、悲劇的キャラだった。
      • 手段が許されないものとは言え、
        過酷な環境で自分の目的を達成するために努力する姿と、
        信頼した人に裏切られ、努力が何一つ報われなかったが、
        人生の最後に愛を手に入れたことで救われたとも言えるところが好き。
    • グリュシカ(マカク)
      • 尺の犠牲者その2。
        「敵側の武力代行者」という役割を背負わされてしまったため、
        役割的にも話の展開的にも、
        原作のようにガリィに対する屈折した感情を描写する訳にはいかず、
        その結果、黒幕にいいように操られる、
        中途半端に邪悪なマッスル敵役にしか見えなかった。
        (かろうじて地下生まれという点は言及されたが…) まぁここも「これはグリュシカの映画ではない」と片付けるしかないか…
    • ノヴァ
      • 尺の犠牲者その3。
        割と自分がこの映画に対する不満を凝縮したようなキャラ。 尺的にノヴァを詳しく描写するのは無理なので、
        ある程度簡略化されるのは理解できる。
        しかし映画でのノヴァの描写は簡略化というよりもはや魔改造で、
        なんかよくわからない遠隔操縦能力を身につけているし、 (サイボーグでも脳は生身だからどうやって操縦してるんだ?)
        物語の黒幕でザレムの邪悪代表になってしまってるし、
        映画から得られる情報だけを見ても、 本来のキャラから完全に別物になってしまったと言える。 それなら「ノヴァ」の名を借りずに、
        別のキャラをでっち上げてしまった方が後腐れなくて良いのでは?
      • さらに言うと、せっかく頑張って設定改変して黒幕に仕立てたのに、
        映画の結末が「黒幕を倒して大団円!」といったカタルシスのあるものではなく、
        「俺たちの戦いはこれからだ!」エンディングになってしまったので、
        せっかく盛り上げた話に締まりがなく、
        とてもノヴァと言う面白いキャラを壊してしまうまでの価値があるようには思えなかった。

他にも色々と語りたいところだが、長くなってしまったためここまでとしよう。
自分にとってあまり好ましくない要素が複数あったため、
評価は控えめなものになってしまったが、
銃夢』と映像表現だけでも観る価値のある作品なので、
気になる方はぜひご自分で観てから評価していただきたい。

劇場アニメ 『コードギアス 復活のルルーシュ』 レビュー

このブログが初めての方はぜひこちらからどうぞ…!


http://www.geass.jp/R-geass/img/key_02.jpg

公式サイト



概要

光和2年。
世界は再編成された超合集国を中心にまとまり、平和な日々を謳歌していた。
しかし、平和は突如として終わりを告げる。仮面の男・ゼロとして、ナナリーの難民キャンプ慰問に同行したスザクが謎のナイトメアフレームに敗れ、
2人は連れ去られてしまった。
シュナイゼルの密命を受け、戦士の国・ジルクスタン王国に潜入したカレン、ロイド、咲世子はそこで、謎のギアスユーザーに襲われる。
そして、その場には襲撃者に“元嚮主様”と呼ばれる、C.C.が居た。

かつて神聖ブリタニア帝国の大軍すらも打ち破った無敵の王国を舞台に、人々が描く願いは、希望か絶望か。
果たして、ギアスのことを知るジルクスタン王宮の面々と、C.C.の思惑とは——。

(公式サイト・あらすじより)

紹介不要な人気シリーズ・コードギアス
総集編劇場版三部作の果てに迎えた、待望の完全新作。
果たしてルルーシュは本当にタイトルの通り、復活するのだろうか?
復活したのなら、どのような展開が待っているのだろうか?


五段階評価

★★★★★


合う人・合わない人

  • 合う人
    • コードギアスシリーズのファン
    • 各キャラクターの「その後」が気になる人
    • R2のエンディングに心残りを感じた人
  • 合わない人
    • コードギアスシリーズを知らない人
      • 劇場版三作を観てからにしましょう!
    • ゼロレクイエムが最高の締め方で、これ以上引っ張るべきではないと思う人
    • 既存の各キャラに対するイメージを変えたくない人

短評

あの衝撃の結末から、もうすぐ12年。
前座となる劇場版三部作には一部TV版とは異なる展開があったため、
新作には期待半分不安半分といった感じだったが、
いざ蓋を開けてみると、非常に出来のいいファンディスクだった。

本編のエンディングが評価が高かったが、その性質上、心残りを感じた人もすごく多いはず。 君もその一員であれば、ぜひこの作品を鑑賞しよう。
ファンディスクと言っても、この作品のストーリーはしっかりしていて、立派な「コードギアス」だ。
ルルーシュで始まりルルーシュで終わる「コードギアス」は、これにて本当の閉幕を迎える。


感想(※ネタバレあり)

  • ルルーシュの復活について

    正直、不安だった。

    『R2』は途中の展開が暴走気味だったとはいえ、アニメ史に残る最高のエンディングで失点を取り返し、
    コードギアス 反逆のルルーシュ』を名作と決定付けた。

    シャーリーが大好きなキャラなので、劇場版で彼女が生き残ったと知った時は本当に嬉しかった。
    それだけでなく、彼女が他のキャラでは出来ないような活躍をしたと知った時は、ああ、ようやく報われたなと涙が出そうになった。

    しかし。ルルーシュは本当に復活していいのだろうか。
    ルルーシュが死んでこそのゼロレクイエムではないのか?
    ルルーシュが軽々しく復活したら、我々ファンの気持ちは、作中の各キャラの気持ちは、どこに向かえば良いのだろうか。
    何よりも、ルルーシュ本人は、ナナリーや世界のためとはいえ、嘘をつき、相手の意思を捻じ曲げることで、自分の目的を叶えてきた。
    こんな彼が、『R2』の最後に、世界のために自分の命や存在を捧げたによって、最終的なキャラクターが確立され、聖人とも言えるイメージとなった。
    だが、復活してしまった場合、この行為さえも打算の一環のように見えてしまい、「結局自分のために嘘にまみれた偽善者だ」という印象を与えてしまう。
    正直、PVが解禁されるまでは「ルルーシュは本当に復活せず、ただし何らかの手段でストーリーに干渉する」という手を取るのではないかと思っていたし、PVを観てからは「これはうまく話を纏めないとかなりのファンの反感を買ってしまうのでは…」と心配していた。

    いざ鑑賞すると、なるほどこれはうまいと思わず手を打った。

    まず、ルルーシュ本人はあくまで死ぬつもりで、復活するのはC.C.のわがままだった。
    皇道の時点で、この可能性が十分にあると匂わせたし、こうでなければ話はうまく纏まりそうもなかった。
    C.C.だけが、この行動を実施する動機も能力を十分に備わっているし、こうすればルルーシュは嘘つきに逆戻りせずに済む。
    さらに、スザクをはじめとしたキャラクターはまるで視聴者の気持ちを代弁するかのようにルルーシュの復活を責め立てたし、ルルーシュ本人はその呵責や暴力を弁解しようともせずに受け入れた。
    ここまでやればまぁよっほどこだわる人でない限りは納得するだろう。少なくとも自分は納得したしホッとした気持ちだった。

  • 復活してどうするの?

    ルルーシュがみんなが納得した形で復活を遂げたのはよかった。しかし、次に心配だったのは、果たして十分に活躍できるのだろうか?

    PVを観た限りでは新しい勢力による脅威が出現したようだが、そもそも世界には大規模な反抗勢力は既に存在しないはずだし、スザク&カレンという最高の武力と、ルルーシュ&シュナイゼルという最高の知略が揃った超合集國の前では多少強い程度の敵では全く歯が立たないはずなので、どのようにルルーシュが活躍するような危機を作り出すのか疑問に思った。
    蓋を開けてみれば簡単で、「時間を巻き戻す」という、古典的でありながら強力なギアス能力を持つ敵が、ルルーシュたちの前に立ちはだかった。
    近年では『シュタゲ』や『リゼロ』で世間に知り渡ったこの手の能力は、そのあまりの強力さで、基本は主人公が持つような能力だ。今回は「6時間」という制限があるとはいえ、やり直しが効くのであれば、よっほどの計略でなければ対応可能だし、武力差も圧倒的なものでなければ逆転可能となる。その上で「武力の国」という設定を作り込み、外交的な理由で超合集國に主力を出せないように制限しつつ、相手側に十分な戦力を用意した。これもうまいと感心せざるを得なかった。

    そうやって、本来は圧倒的な優位に立つはずのルルーシュがこれまでにないような危機に追い込まれた。諦めかけたルルーシュは新鮮で面白かったし、その後のC.C.の反応も観られて心から良かったと思った。本編にあっても良かった「未知のギアスを推理し対応する」展開はとても熱く、感服した。 もちろん、監獄から脱出する際の活躍も気持ちのいいもので、一期の2話を彷彿した展開が、視聴者に懐かしさを感じさせつつ、ルルーシュの天才っぷりを思い出せた。ここでしっかり上げたから、その後の危機も一際厳しいものに見えたので、全く無駄がなかったね。

    あと、この敵の設定について良かったと思ったのは、ルルーシュの活躍の場を作り出すためだけの道具ではなく、「ルルーシュが良かれと思って作り出した一見完璧な世界にも、逆に苦しんでいるがいる」というアンチテーゼを示し、視聴者に考えさせた点だね。

  • うまさはもうわかったから、ぶっちゃけどうよ?

    正直言うと、不満も全くないというわけではない。
    自立したナナリーの活躍が観たかった。
    カレンとルルーシュがもっと話すところが観たかった。
    シャーリーとルルーシュがまた話すところが観たかった(エンディングの一枚絵で割と満足しちゃったが…)。 何より、ルルーシュの活躍から始まり、その死に終わるR2の結末があまりにも美しかったため、その美しさが壊れたことに残念を覚えた。

    しかし、全ての視聴者のわがままを満たせるような作品は存在しえない。これ以上のものを求めるのは酷以外の何物でもないだろう。

    本編とは少し変わった、しかしながら変わらなかったルルーシュが観られた。 本編ではついに実現しなかった、スザクとカレンの夢のタッグが観られた。
    アーニャが再びモルドレッドに乗って活躍する姿が観られた。 一枚絵とは言え、シャーリーの報われた涙が観られた。 そうそう、扇がルルーシュに謝罪するところも観られた(笑)。
    何より、本編から最も孤独で、最も努力してきたC.C.の、幸せな笑顔が観られた。
    他にも数え切れないほどの、観たかった各キャラクターの「その後」が観られて、正直やりすぎとさえ言えるような夢のシーンの集合だった。
    ここまで出来のいいファンディスクを前に、一介のファンとしての自分は、「大満足」という一言以外、何が言えるのだろうか?

    君がコードギアスという作品を気に入っているのであれば、どうか今のうちに映画館に行って、この感動を体感していただきたい。
    そのあとに、この記事では到底語り切れないような気持ちを、僕と語り合おう。