劇場アニメ『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』 評価・感想
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概要
昨年度の全日本吹奏楽コンクールに出場を果たした北宇治高校吹奏楽部。 2年生の黄前久美子は3年生の加部友恵と、 4月から新しく入った1年生の指導にあたることになる。 全国大会出場校ともあって、多くの1年生が入部するなか、 低音パートへやって来たのは4名。 一見すると何の問題もなさそうな久石奏。 周囲と馴染もうとしない鈴木美玲。 そんな美玲と仲良くしたい鈴木さつき。 自身のことを語ろうとしない月永求。 サンライズフェスティバル、オーディション、そしてコンクール。 「全国大会金賞」を目標に掲げる吹奏楽部だけど、問題が次々と勃発して……!? 北宇治高校吹奏楽部、波乱の日々がスタート!
高校二年生になった久美子たち。
「色々あった」という一言では纏められないストーリーを共にした三年生を見送り、
新たに癖の強い一年生を迎えた久美子たちは、今度はどのような物語を綴るのだろうか?
そして果たして掲げた「全国大会金賞」という目標を達成できるのだろうか?
『リズと青い鳥』の裏で起きたストーリーも必見!
五段階評価
★★★★★
合う人・合わない人
- 合う人
- 『響け!ユーフォニアム』シリーズのファン
- 『リズと青い鳥』の「その前とその後」を知りたい人
- 思春期の繊細な悩みに共感を覚える人
- 合わない人
- 『響け!ユーフォニアム』シリーズを知らない人
- 原作に過度にこだわる人
- 思春期の繊細な悩みに興味のない人
- キャラや物語の展開に完璧さを求める人
短評
『リズと青い鳥』から1年になる、『響け!ユーフォニアム』アニメシリーズの新作。
原作の「一年生編」はTVアニメ二期をかけて丁寧に描き上げられたため、
「二年生編」をこの劇場アニメ一作で完結と聞いた時には若干の不安を感じた。
(『リズと青い鳥』があるとはいえ、だ)
しかしいざ蓋を開けてみると、話がいいテンポに進んで行くにも関わらず、
必要以上に急かしている感覚が全くなく、
一年生・二年生・三年生各々のエピソードをしっかり描写し、
個性の強いキャラたちで普遍性のある悩みや楽しみを描き出す素晴らしい作品だった。
もちろん、目玉である演奏パートも今まで以上のいい出来となっているので、
ぜひ川崎チネチッタなど、音響のいい映画館で鑑賞していただきたい(ダイマ)。
TVシリーズもしくは劇場版、そして『リズと青い鳥』をしっかり復習してから鑑賞すると、
きっと感動はさらに深まるであろう。
感想(※ネタバレあり)
尺について
まずは(自分を含め)多くの人が気になるであろう、尺の問題について語りたい。『響け!ユーフォニアム』は、テレビアニメ二期、合計26話で、
原作の「久美子一年生編」、合計文庫本3冊分(および短編集の一部)のストーリーを描いた。
そして去年上映された『リズと青い鳥』と今作『誓いのフィナーレ』は、
原作の「久美子二年生編」、合計文庫本2冊分の内容が含まれる。26話のテレビアニメと、90分の映画二本。
たとえ原作のボリューム差が倍近くあると計上しても、
二年生編のアニメに与えられた尺は一年生編の半分程度、という計算になる。
さらに言うと、『リズと青い鳥』は「希美とみぞれの関係性」のみをテーマとし、
この二人と直接関わらないキャラやストーリーの描写はほとんど省かれているため、
オーディションやコンクールを始めとした各イベントを描写しなければならない本作の方が、
明らかに「尺」による圧力がかかっおり、気になるのも当たり前のことだ。。では、結果として本作はどうだったかと言うと、
短評にもあった通り、いいテンポで話が進むが、
尺のために急かしたり話を端折った感覚がなく、とてもよくまとめられていた。明らかに足りない尺で、どうやってこのような効果を実現し得たのか?
自分が思うには、これは「情報密度の増加」と「想像力への訴え」といった手法を取ったからだ。情報密度の増加
当たり前の話だが、限定された時間の中でより多く内容を含めたい場合、
時間あたりの情報量を増やせば達成可能だ。
本作の多くの箇所はこちらの手法を取っており、
「キャラがただ会話している」シーンや「淡々と物語を進める」シーンが少なくなり、
代わりに「キャラのセリフが流れつつ、画面で他の場面を描写する」、
「画面の背景にも情報を盛り込む」といったシーンがかなり多くなった。そのため、普通に観てもちゃんと一つのストーリーを楽しむことができるが、
繰り返し鑑賞し、背景にいるキャラたちや僅か数秒のシーンも見逃さずにしっかり観察することで、
真に本作に含まれる大量の情報を捕捉しきれるのだろう。想像力への訴え
どれほど情報密度を増やしたくても、演出効果を考慮すると限度がある。
ではどうすればさらに作品の内容を増やせるのか?
その答えは「画面に出さない内容を作品に追加する」という手だ。この言い方だとまるで魔法のように聞こえてしまうので、
具体的に説明すると、「僅かな描写から多くの想像ができるような描き方」をすることだ。
例えば、自由曲「リズと青い鳥」の第三楽章にある、オーボエとフルートのソロ。
一見普通の演奏シーンだが、『リズと青い鳥』を鑑賞済みの観客にとって、
その画面や演奏に含まれる感情は一言では表せないものであるだろう。この手法はかなり観客に依存するもので、
例えば上記のシーンは『リズと青い鳥』未鑑賞の人にとっては全く響かないのだろう。
それでも、条件を持ち合わせた一部の人にとって、このような描写は、
この作品の中身を何倍も増やす効果があった。
もちろん、これらの手法を持ってしても、指定された尺の中に入りきれず、
やむを得ずカットされた内容がそれなりにあった。
例えば、小日向夢のファンにとって、この作品が残念な出来になってしまっているのだろう。
だが、尺の制限があったからこそ生まれた表現もたくさんあったわけで、
自分はそこを高く評価したい。普遍性のある、思春期の繊細な悩み
テレビアニメ一期のソロ争いや、二期のあすか退部騒動。
『響け!ユーフォニアム』という作品には、
常に吹奏楽部や高校生にありがちな問題や悩みが伴っていた。
本作に描かれたキャラたちの悩みも今まで同様、
(特に吹部経験のある)視聴者たちの高校時代の傷をエグくものだろう。自分が本作を評価したいのは、その中で描写された悩みは、
今まで以上に、「吹奏楽部」や「高校生」といった枠を超えた普遍性を持っているという点だ。二年生になった久美子は、自分の演奏・恋愛・将来などの悩みを抱えながら、 一筋縄にはいけない後輩たちの前に「しっかりとした先輩」を演じなければならず。 三年生になった加部友恵は、奏者としての自分と指導係としての自分に葛藤していた。 他のキャラも各々の悩みを抱えていて、できることなら全て語りたいところだが、
その中でも、もっとも語らざるを得ないと感じたのが、
新しく低音パートに加入した一年生、「久石奏」と「鈴木美玲」の二人だ。自己防衛のために仮面を被る、久石奏
唐突に自分語りから入ってしまうのだが、
僕は公式サイトのキャラ紹介を見た時点から久石奏が好きになった。
髪の赤いリボンにより綴られた可愛さももちろんだが、
表情や紹介文から漂ってくる「猫かぶり」の気配がたまらなかった。
自分は「猫かぶりキャラ」が好きだ。
『響け!ユーフォニアム』シリーズのキャラで例えるのなら、
(性質は異なるが)田中あすかが一番好き。猫かぶりキャラのどこか面白いかと言うと、
「他の人より、素の自分がコミュニティに通じなく、そしてその点を認識している」ことだ。
そりゃ人間である限り、多かれ少なかれ建前と本音を使い分けるだろうが、
猫かぶりキャラはその程度では止まらず、仮面を被り、別人格を演出する。
素の自分でコミュニティに上手くやっていけるのであれば、
わざわざそこまで苦労することはないだろう。
「素のままの自分では上手くいかない」認識があるからこそ、そうせざるを得なかった。
この思考に含まれる不器用さ・自分と周りへの認識・努力こそが、
猫かぶりキャラの魅力だと自分は思っている。実際、久石奏の場合は、中学時代のトラウマが「猫かぶり」の源となった。
素の自分のままで吹奏楽を努力し、先輩をも超える実力を身につけたが、
成果が出なかったがためにコミュニティに責められ、苦渋な思い出となった。
その経験が「素のままの自分では上手くいかない」認識に繋がり、
今のように本音を隠し、コミュニティにいる人間と距離を取りつつ性質を見極め、
その人との付き合い方を選ぶような世渡り方になった。客観的に見て、中学時期の奏の行動は決して間違ってはいなかった。
外部の人間に評価させるのであれば、誰も奏を責めることはないだろうが、
残念ながら人間は広い世界に生きているのではなく、
自分を取り囲む小さなコミュニティの中で生きる存在だ。
いくら客観的に見て間違っていない行動でも、
コミュニティにとってもっとも好まれる選択肢でない限り、
その行動を取った者は辛い経験をするのだろう。
「学生」という、自力でコミュニティ脱出できる力を持たない立場にいる人間は、
往々としてその辛さをもっとも実感しやすいのだろう。
これこそが、このキャラが示す「普遍性」だと、自分は思っている。そして、猫かぶりキャラの先輩である田中あすかとは異なる、
「後輩」としての魅力を演出するのが、奏の「詰めの甘い」ところ。
あすか先輩は、他人の協力がなくても部内で上手く立ち回り、
久美子に捨て身アタック仕掛けられるまではその冷徹の仮面を崩さなかった。
一方、奏は久美子の本質を見抜いたつもりが核心の部分までは見誤り、
オーディションの際の振る舞いも決め切れず久美子へ相談しに行った。
このように弱点を持っているところが、逆に「後輩キャラ」としての魅力になり、
最後に久美子に説得されたことやその後小悪魔的な言動を改めなかったとこを含め、
久石奏を「最高な後輩キャラ」にした。優秀さが壁を作ってしまう、鈴木美玲
美玲の抱える問題も、
「コミュニティに上手く溶け込めない」という意味では奏と若干似ているが、
「達成したい目標」と「障害となっている箇所」を自覚できていないだけ重症だ。奏は「高校生活を上手くやる」という目標を立て、
「仮面を被る」という解決法を見出し、それを実行することで、
それなりに目標を達成できていた。
一方で美玲は、下手でも楽しそうなさつきと葉月を見て「イライラ」と感じ、
サンフェスの際に「自分の居場所がない」と感じたものの、
その根源たる問題点、自分が達成したい目標を自覚できていなかった。問題点を自覚できない以上、自分で正しい解決法を見出せるはずもない。
本人が気付くまで待てば問題ないだろうが、
苦しむ環境に置かれる人間に待てというのはあまりにも残酷なことだろう。
待てない人は勘違いしたまま問題解決のために行動すれば、
そりゃ「辞める」という誰も幸せにならない突飛な結論にもなる。こういう状況に陥ってしまった場合、
もはや「外部からのアドバイス」くらいしか有効な手がなくなる。
奏は自分の経験を重ねてか、美玲の問題を「承認欲求」と解釈し、
自分や久美子でその承認欲求を満たすことで籠絡しようとした。
その解釈は決して間違いではない。
効率的に練習をこなし、演奏技術も高い美玲が、
それに見合う見返りを手に入れられていないのは確かだ。
だが中学時代の奏のいた環境とは違い、
現在の北宇治は実力を持つ者を認める雰囲気があり、
実際低音パートのメンバーは全員美玲を認めていた。
にも関わらず美玲が満たされないと感じるのは、
久美子が見抜いた通り、美玲が変わりたかったから。優秀な人は、今までが上手くいったがために、
その今までのやり方にプライドを感じる場合が多い。
しかし、環境が変わった場合、求めるものが変わるのも人の常。
美玲はいつの間に「仲間との良好な関係」を求めるようになったが、
その優秀さが生み出したプライドが、
この新しい目標を達成する壁になってしまう。
承認欲求が満たされたところで、その目標は達成することはなく、
久美子の提案のように、その不要なプライドを捨て、
自分から変わることで、ようやく達成できるようなものだ。そしてこのような問題は、社会人にもそのまま起きるのが、
鈴木美玲というキャラの面白いところだ。
最後に
長々と書いてしまったが、とにかく伝えたかったのは、
本作は複数回鑑賞する価値のある素晴らしい作品ということだ。
上記で触れたところ以外にも、久美子と秀一や麗奈との距離感など、
しっかり観察するとその面白さに気付けるポイントがたくさんあり、
決して飽きさせない作りになっているので、
ぜひ音響のいい映画館で楽しんでいただきたい。それと、
本作のパンフレットの裏表紙のデザインが最高すぎるので、
みんな買いましょう!