映画 『アリータ バトル・エンジェル』 評価・感想
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概要
アイアンシティに舞い降りた天使は、 運命と出会い、戦士に目醒める。
(公式サイト・STORYより)
木城ゆきとによる名作SF漫画『銃夢』が、
かのジェームズ・キャメロンのプロデュース・脚本の元、
ロバート・ロドリゲスの監督により、実写映画となった。
このかつてないような組み合わせは、観客にどのような映画体験をもたらすのだろうか?
五段階評価
★★★
合う人・合わない人
- 合う人
- 合わない人
- 『銃夢』原作の表現、描写に拘る人
- テンポの速い展開についていけない人
- 「物語はちゃんと完結するべきだ」と思う人
- ヒロインのビジュアルを受け入れられない人
短評
『銃夢』の「モーターボール編」が、20年以上の時を経て、映画へと生まれ変わった。
人間の意識と機械の体を持つヒロインの特徴やギャップの表現が非常に印象的だった。
それぞれ特徴を持ったサイボーグの描写や高速戦闘シーンが非常に気持ちが良かった。
原作通りの鬱シーンも盛り込んだため、人を考えさせられる一作でもあった。
だが、長い原作を映画の尺に合わせるため、展開のテンポが非常に早く、
特にキャラの感情描写や心理の変化はなかなかついていけないものだった。
原作をなぞらえた設定はスケールが非常に大きいため、
「諸悪の根源を倒す」という風に完結する作品にはなれず、
宙ぶらりで後味の悪い結末になったのが個人的に非常に気になった。
感想(※ネタバレあり)
- ストーリー全体
- まさか「マカク編」「ユーゴ編」「モーターボール編」を組み合わせて、
一つの映画作品に仕上がるとは、素直に感心するしかなかった。
見事に原作の各キャラと展開をフル活用して、
122分という尺に『銃夢』を最大限に表現できたため、
キャメロン監督とロドリゲス監督の原作愛を感じた。 - しかしもちろん、このような計算尽くな脚本はいろんな弊害をもたらす。
話を終わらせるために本来必要な描写をカットしてしまい描写不足になったり、
キャラに本来なかった役割を演じさせたため原作と乖離が発生したりする。
自分は急すぎた展開とねじ込まれた感の強いモーターボールに違和感を覚えたが、
全体的に見て破綻はしていないので、そこまで問題はなかっただろう。
- まさか「マカク編」「ユーゴ編」「モーターボール編」を組み合わせて、
- 映像
- サイボーグの表現
- 精細なCGによって表現されたサイボーグ達が最高にSFしてた。
特に「顔だけ生身で他は機械」のザパンと、
「本体は虫のようなもの」のグリュシカが、
まさに「今時のCG技術があるからこその出来」で、
恐ろしさ・生々しさ・カッコよさを同居した姿が実に良かった。
- 精細なCGによって表現されたサイボーグ達が最高にSFしてた。
- ザレムとアイアンシティ
- モーターボール
- サイボーグの表現
- 主要キャラに対する感想
- アリータ(ガリィ)
- まずは誰もが気になるだろう、このヒロインのアグレッシブ過ぎた顔。
原作のガリィは他のキャラに比べ特に特徴的な顔をしているわけではないが、
アリータはキャメロン監督の言葉通り「アリータの目は巨大で、顔はハート型」。
ヒロインが他のキャラとの違いを強調したいのかもしれないのだが、
このような好みの分かれるビジュアルを前面に押し出すのは、
かなりの自信と勇気がなければできそうにもなく、
感服するところではあった。
結果的にヒロインのビジュアルに好意を寄せている人も見た所かなりいて、
このチャレンジは成功したと言えるだろう。
自分はどちらかと言うとあまり好きじゃないのでちょっと微妙な気分だったが… - 原作に比べ、描写する尺が足りないからだろうが、
かなり葛藤の少なかったキャラになった。
記憶が早々(断片的にだが)戻り、バーサーカーボディも「more me」になったため、
自分のアイデンティティに対する迷いや葛藤がほとんどなかった。
尺のためには必要だし、これはこれでカッコいいので一方的に悪いわけではないが、
自分はつまらなくなったなぁと感じた。 - しかしながら、注目すべきは原作にない表現である。
最序盤の「あくびしながら起き上がり、自分の体を確かめる」演出は、
見事にサイボーグの「生身の脳・機械仕掛けの体」という特性を表現したし、
「ヒューゴに自分の心臓を差し出す」シーンも見事にサイボーグの特異性と、
アリータがヒューゴに向ける感情をワンシーンで表現したため、
実に素晴らしかった。
- まずは誰もが気になるだろう、このヒロインのアグレッシブ過ぎた顔。
- イド
- 尺の犠牲者その1。
根本的に設定変更されてもはや別物になってしまった悲しいキャラ。
医師兼保護人という立ち位置は原作と変わらないが、
原作ではもっと闇を抱えていて(ハンターウォーリアをやる理由など)、
ガリィへの感情ももっと屈折したものであるため、
かなり面白いキャラだった。
しかし122分の映画でそれらを表現できるはずもなく、
ロケットハンマーを持ちながらもロクに戦えず、
アリータを我が子に思うただのおじいちゃんになってしまった。
映画にまとめるためには極めて合理的な設定改変だが、
イドというキャラへの根本的な破壊とには変わりない。
まぁ、「これはイドの映画ではない」という一言で片付けるしかないだろう。
- 尺の犠牲者その1。
- ヒューゴ(ユーゴ)
- 原作序盤での自分のお気に入りキャラ。
映画版では年齢を始め、色々と設定が変更され、
なんかパッと見いけ好かないイケメンになったが、
そのコアの部分は変わっておらず、
唯一原作と同等以上に表現されたキャラではないかと自分は考えた。 - 原作より早い段階でアリータとの恋人関係が成立したため、
その分目が覚めるのも早くなり、その葛藤や後悔を描写する余裕があった。
それでも全てが手遅れで、悲しい最期を遂げるところは変わらず、
人を考えさせる、悲劇的キャラだった。 - 手段が許されないものとは言え、
過酷な環境で自分の目的を達成するために努力する姿と、
信頼した人に裏切られ、努力が何一つ報われなかったが、
人生の最後に愛を手に入れたことで救われたとも言えるところが好き。
- 原作序盤での自分のお気に入りキャラ。
映画版では年齢を始め、色々と設定が変更され、
なんかパッと見いけ好かないイケメンになったが、
- グリュシカ(マカク)
- 尺の犠牲者その2。
「敵側の武力代行者」という役割を背負わされてしまったため、
役割的にも話の展開的にも、
原作のようにガリィに対する屈折した感情を描写する訳にはいかず、
その結果、黒幕にいいように操られる、
中途半端に邪悪なマッスル敵役にしか見えなかった。
(かろうじて地下生まれという点は言及されたが…) まぁここも「これはグリュシカの映画ではない」と片付けるしかないか…
- 尺の犠牲者その2。
- ノヴァ
- 尺の犠牲者その3。
割と自分がこの映画に対する不満を凝縮したようなキャラ。 尺的にノヴァを詳しく描写するのは無理なので、
ある程度簡略化されるのは理解できる。
しかし映画でのノヴァの描写は簡略化というよりもはや魔改造で、
なんかよくわからない遠隔操縦能力を身につけているし、 (サイボーグでも脳は生身だからどうやって操縦してるんだ?)
物語の黒幕でザレムの邪悪代表になってしまってるし、
映画から得られる情報だけを見ても、 本来のキャラから完全に別物になってしまったと言える。 それなら「ノヴァ」の名を借りずに、
別のキャラをでっち上げてしまった方が後腐れなくて良いのでは? - さらに言うと、せっかく頑張って設定改変して黒幕に仕立てたのに、
映画の結末が「黒幕を倒して大団円!」といったカタルシスのあるものではなく、
「俺たちの戦いはこれからだ!」エンディングになってしまったので、
せっかく盛り上げた話に締まりがなく、
とてもノヴァと言う面白いキャラを壊してしまうまでの価値があるようには思えなかった。
- 尺の犠牲者その3。
- アリータ(ガリィ)
他にも色々と語りたいところだが、長くなってしまったためここまでとしよう。
自分にとってあまり好ましくない要素が複数あったため、
評価は控えめなものになってしまったが、
『銃夢』と映像表現だけでも観る価値のある作品なので、
気になる方はぜひご自分で観てから評価していただきたい。